2023年9月15日に公開されたアニメーション映画『アリスとテレスのまぼろし工場』。
『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』『心が叫びたがってるんだ。』などを手掛けたことで知られる脚本家・岡田麿里の2作目となる監督作であることや、制作を『呪術廻戦』『この世界の片隅に』のMAPPAが担当したことでも注目を集めた本作。
変化することが許されない町を舞台に、終わらない思春期に閉じ込められた中学生たちの抗いもがく姿を映し出すSF青春劇である。
本作は「第78回 毎日映画コンクール アニメーション映画賞」を受賞するなど、高い評価を得ている一方で、一度見ただけでは理解しにくい世界観や設定が多く、作中での説明も最小限に抑えられているため、「複雑でよく分からなかった」という感想を抱く方も少なくなかったようだ。
そこで本記事では、映画『アリスとテレスのまぼろし工場』について、
- 主人公たちが暮らすまぼろし世界って結局なんだったの?
- 『アリスとテレスのまぼろし工場』の時系列はどうなっている?
- タイトルに込められた意味は?
- どんな条件が揃ったら人が消えるのか?
などといった疑問に答えていくとともに、私の感想を書いていこうと思う。
※本記事の内容は映画『アリスとテレスのまぼろし工場』のネタバレを含みます。未鑑賞の方はご注意ください。
映画『アリスとテレスのまぼろし工場』の作品概要
『アリスとテレスのまぼろし工場』の作品概要 | |
公開 | 2023年9月15日 |
上映時間 | 111分 |
監督 | 岡田麿里 |
脚本 | 岡田麿里 |
原作 | 岡田麿里 |
制作 | MAPPA |
主題歌 | 中島みゆき「心音」 |
キャスト | 菊入正宗/榎木淳弥 佐上睦実/上田麗奈 五実/久野美咲 佐上衛/佐藤せつじ 園部裕子/齋藤彩夏 新田篤史/畠中祐 原陽菜/河瀬茉希 菊入昭宗/瀬戸康史 菊入時宗/林遣都 菊入美里/行成とあ |
あらすじ
突然起こった製鉄所の爆発事故により全ての出口を失い、時まで止まってしまった町で暮らす中学三年生の正宗。
いつか元に戻れるように、住人たちは変化を禁じられ鬱屈した日々を過ごす中、謎めいた同級生の睦実に導かれ、製鉄所の第五高炉へと足を踏み入れる。そこにいたのは喋ることのできない、野生の狼のような少女―。
二人の少女と正宗との出会いが世界の均衡を崩していき、日常に飽きた少年少女たちの、止められない<恋する衝動>が世界を壊し始める―。
引用元:Filmarks『アリスとテレスのまぼろし工場』
映画『アリスとテレスのまぼろし工場』は、製鉄所の爆発事故がきっかけで時が止まった町・見伏を舞台にしたSF青春ストーリーだ。
突如として止まった時間、ひび割れた空、狼のような煙、謎めいた同級生・睦実、睦実によく似た不思議な少女・五実。
たえず陰鬱な空気の漂う物語は、主人公・正宗に淡い恋心を抱いていた友人が消えてしまったことから動き始める。
登場キャラクター
映画『アリスとテレスのまぼろし工場』の主要な登場キャラクターを紹介していく。
菊入正宗(声優:榎木淳弥)
表向きはクールに振る舞っているが、家族のことや将来の夢、抑えつけた恋心など様々な葛藤を抱えている。絵を描く事が好き。
引用元:『アリスとテレスのまぼろし工場』公式サイト
佐上睦実(声優:上田麗奈)
ミステリアスな正宗の同級生。周囲から控えめで優しい女子だと思われているが、本当は気が強い。連れ子として佐上家に入る。
引用元:『アリスとテレスのまぼろし工場』公式サイト
五実/沙希(声優:久野美咲)
製鉄所に閉じ込められている野生の狼のような少女。時さえも止まってしまい変化を禁じられたこの町で、唯一一人だけ成長を続けている。
引用元:『アリスとテレスのまぼろし工場』公式サイト
佐上衛(声優:佐藤せつじ)
見伏神社の代々の社家。変わり者として嫌われていたが、爆発をきっかけに権力を手にする。
引用元:『アリスとテレスのまぼろし工場』公式サイト
園部裕子(声優:齋藤彩夏)
自分に自信が持てなくて、心の中に熱くてドロドロした想いを抱えている。
引用元:『アリスとテレスのまぼろし工場』公式サイト
『アリスとテレスのまぼろし工場』の世界観・舞台設定を考察
引用元:『アリスとテレスのまぼろし工場』
※映画『アリスとテレスのまぼろし工場』のネタバレを含みます。未鑑賞の方はご注意ください。
ここからは映画『アリスとテレスのまぼろし工場』について、ネタバレを含みつつ考察・解説をしていく。
あくまでも私の個人的な解釈であり、絶対的な正解ではないことを断っておきたい。
まず始めに、正宗や睦実が暮らす時が止まった町(以下、“まぼろし世界”)は、どのようなところなのかを考察していく。
どういった世界観や舞台設定なのかを理解しているかどうかで、本作への評価は大きく変わってくるだろう。
終わらない冬に閉じ込められた集団
正宗たちが暮らす“まぼろし世界”は、季節が変わらずずっと冬のままである。同じ時間を繰り返すのみで、ラジオからはいつも同じ番組が聞こえてくる。
身体的な成長もしない。そのため14歳はずっと14歳のままだし、臨月の妊婦はいつまで経っても産気づくことはない。
しかし、記憶や経験は蓄積されていき、内面は成長していく。これが本作の独創的な設定の1つだ。この町では、見た目は14歳のままであっても、精神的には成熟した大人である可能性もあるのだ。
つまり、本作は一見するといわゆるループもののように捉えてしまいそうになるが、厳密にはループものではないのである。

例として1/1を繰り返す場合のイメージが上記の画像になる。あくまで例であり、本作が1/1を繰り返しているわけではない。本作の時系列については後述する。
主人公たちのいる世界はあの世ではない
五実(沙希)が“まぼろし世界”に迷い込んだのも、“まぼろし世界”から現実世界へ帰ったのも、現実世界の見伏で盆祭が催された日だった。そのことから正宗たちが暮らす“まぼろし世界”をあの世であると解釈する方もいるようだ。しかし、私はそうではないと考える。
理由はいくつかあるが、その最たるが五実の存在だ。五実=沙希は、現実世界で正宗と睦実が結ばれ生まれた子供である。つまり正宗も睦実も爆発事故で死亡したとすると、五実=沙希の存在は矛盾となってしまう。
このことから、“まぼろし世界”があの世であるという解釈は間違いであると思っていいだろう。
現実世界とは異なるパラレルワールドである
それでは“まぼろし世界”は何なのかというと、製鉄所の爆発事故が発生した瞬間に誕生した、現実世界とは異なるもう1つの世界ではないかと考えられる。つまりパラレルワールドである。
園部が消え、五実の存在が公表されるまで、“まぼろし世界”の住民たちは、佐上衛の説明によって「見伏の時が止まった」と思わされていた。しかし、実際には爆発事故をきっかけに「見伏の時が止まった」のではなく、爆発事故をきっかけに「時が進まない並行世界が、新たに生まれた」のである。
作中、睦実は五実のことを自分の子ではないと主張しているが、これは正しい。睦実(“まぼろし世界”)と睦実(現実世界)は別人であり、五実は睦実(現実世界)と正宗(現実世界)の子供だからだ。
“まぼろし世界”はパラレルワールドである、という前提を持って鑑賞することで、本作のストーリーはかなり分かりやすくなるだろう。
『アリスとテレスのまぼろし工場』の時系列を解説
映画『アリスとテレスのまぼろし工場』において、“まぼろし世界”と現実世界がどのような時系列になっているのかを整理していく。映画で描かれている情報に加え、小説に書かれた情報ももとに推測したのが以下の表のとおりだ。
現実世界の年代 | 現実世界の出来事 | “まぼろし世界”の出来事 |
1991年1月下旬 | 製鉄所の爆発事故が発生 | “まぼろし世界”が誕生 |
1994年〜1999年 | 正宗と睦実が結婚 | |
2000年〜2001年 | 沙希が誕生 | |
2005年8月15日 | 盆祭開催沙希が“まぼろし世界”へ迷い込む(沙希:4〜5歳) | 正宗の父らが列車で沙希を発見 |
2005年〜2016年のどこか | 正宗の父が消失 | |
2016年7月10日 | 新聞で正宗と睦実が盆祭開催を知る | 正宗がひび割れから現実世界の菊入家を目撃 |
2016年8月15日 | 盆祭開催沙希が帰ってくる | 正宗たちが五実(沙希)を現実世界に送り返す |
2019年〜2020年のどこか | 沙希が見伏を訪れる |
それぞれの根拠を解説していく。
まず、製鉄所の爆発事故が起きたのは1991年1月で間違いないだろう。
現実世界の見伏製鐡所跡にある看板の解説に、事故があったのは平成3年(つまり1991年)であると明記されているため1991年に事故が起きたことは確定する。さらに正宗の部屋にあった「少年ゾンターク」が7号だったことや、2月26日生まれの正宗が満14歳だったことから、1月下旬の出来事であると推測が可能だ。
つぎに、正宗が現実世界の菊入家を目撃したシーンで、正宗(現実)が読んでいる新聞に「2016年(平成28年)7月10日 土曜日」という日付が見て取れる。このことから、作品のメインとなる時代は2016年であることが分かる。さらに、盆祭は8月15日に行われることが原作に明記されていることから、五実が睦実と別れ現実世界に戻るタイミングは2016年8月15日となる。
五実が“まぼろし世界”で過ごしていた期間は10年であると明らかになっているので、逆算すると五実が“まぼろし世界”にやってきたのは2005年8月15日だと分かる。ちなみに、睦実の台詞によると、五実が現実世界から“まぼろし世界”へやってきたのは5歳頃とのこと。つまりメインストーリーが描かれている年代(2016年)では、五実は正宗や睦実と同い年ということだ。
ラストシーンで沙希が見伏の製鉄所跡を訪れたのはいつかだが、これは小説版に成人になったばかりと書かれていることから、シンプルに2020年であると考えていいだろう(成人年齢が18歳に引き下げられたのは2022年4月)。
以上をまとめたものが見出し冒頭の表となっている。
『アリスとテレスのまぼろし工場』のタイトルの意味は何?
引用元:『アリスとテレスのまぼろし工場』
『アリスとテレスのまぼろし工場』というタイトルの意味が分からないと首を捻った人も多いのではないだろうか? というのも、本作にはアリスもテレスも登場しない。
それならばなぜこのようなタイトルになったのか。
実は本作は、岡田麿里監督が小説を書く企画として始まったものが元となっている。しかしどうにも小説を書きあぐねていたところ、MAPPAからオリジナル脚本で監督もどうかという話があり、本作が企画として採用されたという経緯がある。
そして、その元々書いていた小説の仮タイトルが『狼少女のアリスとテレス』なのだ。なぜそのようなタイトルになったかは、岡田麿里監督が以下のように語っている。
「素性の知れない野生動物みたいな狼少女と、街に暮らす嘘ばかりつく狼少年みたいな女の子の話。子供の頃に哲学者のアリストテレスという名前を、アリスとテレスという2人組の名前だと勘違いしていたことを思い出して。自分なりに生きることについてつきつめて考えていきたかったのもあって、『狼少女のアリスとテレス』という仮タイトルで原稿を書き進めていました」
引用元:ダ・ヴィンチWeb|岡田麿里インタビュー
つまり“自分なりに生きることについてつきつめて考えていきたかった”から、哲学者の名前をタイトルに採用したということである。
だがしかし、それだけのことかというと、そんなことはない。本作において哲学者・アリストテレスは、作品のテーマを象徴する存在であると考えられる。
以下、詳しく解説していく。
エネルゲイアへの目覚めを描いた物語
映画『アリスとテレスのまぼろし工場』には、正宗の父の昭宗が、正宗の部屋で漫画を読んでいるシーンがある。その漫画に「哲学奥義エネルゲイア」という必殺技が登場する。
エネルゲイアとは、アリストテレスが提唱した哲学用語である。そしてこのエネルゲイアこそが、本作の持つメッセージの根幹をなすものだと感じた。
作中で昭宗は「エネルゲイアってさあ、人間固有の行為なんだよね。始まりから終わりまでの時間を必要とせず、行為と目的が一致した、ただ今を生きるっていう」という台詞を口にする。
つまり、エネルゲイアとは現在進行形と完了形が等しい行為のことである。もっと砕いて言うと、行為=目的という状況がエネルゲイアというわけだ。
例えば、「イラストレーターになるために絵を描く」のではなく、「絵を描くために絵を描く(絵を描くことそのものが目的であり行為)」という状況が、エネルゲイアなのである(逆に目的のために行為がある状況を「キーネーシス」と言う)。
そして本作は、正宗や睦実、そして“まぼろし世界”の住人たちがこのエネルゲイアを獲得するまでの過程を描いた作品なのではないかと私は解釈した。
物語の中盤、見伏に暮らす人々は、自分たちが暮らす世界が“まぼろし世界”であることを知る。そして、町や自分たちが元に戻ることはない、つまりもう未来は存在しないのだと理解した人々は、次第に絶望していく。
正宗と睦実のキスシーンを思い出してほしい。正宗に告白された睦実は、「好きになっても意味なんかない」として正宗を遠ざけようとした。これは、「恋愛をしたところで結婚もできないし子供も生まれないから意味がない」という意図で発せられた台詞だ。つまり睦実は、「結婚や出産という未来の目的のために恋愛をする」という考え方をしていることが分かる。これは前述したキーネーシス的な思考だ。
それに対して正宗は「好きだから好きだ」「恋愛したいから恋愛したい」というエネルゲイア的思考をしている。正宗がこのような考え方をするようになったのは、今という瞬間をみずみずしく生きる五実の姿に感化されたからに他ならない。
また、正宗に「色ぼけじじい」と言われてしまった叔父・時宗が、正宗の母親への恋を諦めずに“まぼろし世界”の延命のために製鉄所の高炉を再稼働させて神機狼を再生成させたのも、エネルゲイア的な思考だ。
ドイツの神学者・ルターが「たとえ明日、世界が終わるとしても今日私はリンゴの木を植える」という言葉を残している。これこそが本作に込められたメッセージの本質なのではないかと思う。
いつ終わるか分からない世界であっても、今この瞬間に恋をすることに意味があるのだ。
園部や正宗の父が消えたのはなぜか?
引用元:『アリスとテレスのまぼろし工場』
映画『アリスとテレスのまぼろし工場』では、園部や仙波、正宗の父・照宗などの登場人物たちが、ひび割れて消えてしまう。
しかし、彼らの存在が消失してしまった原因が分かりづらかったと感じる人も多い。特に、「変化は悪」というルールに反してしまった人物が消えるのだと勘違いしてしまうと、正宗や睦実の関係や新田と原が関係の変化が矛盾しているように感じてしまうだろう。
「変化は悪」は佐上衛が勝手に言い始めたこと
「世界が元に戻ったときに困らないように、変わることを禁じる」「変化することは悪だ」という見伏のルールは、もっともらしく語られているため誤解してしまいがちだが、そもそも佐上衛(以下:佐上)が勝手に言い始めたことである。
他に当てにすることができる意見や見解がなかったため、町の人々はそれを真実だと信じていただけで、根拠も何もない佐上の主張でしかないのだ。
消える理由は何?「希望とは、目覚めている者が見る夢だ」
それでは人々が消えてしまう理由一体なんなのか。
ここでヒントとなるのが、作中に引用されていた「希望とは、目覚めている者が見る夢だ」というアリストテレスの言葉である。
この言葉は裏を返すと、「希望(夢)を見ない者は目覚めていない」ということになる。「目覚めている・いない」というのは、「生きている・いない」、ひいては「存在する・しない」と解釈することができる。
つまり、希望(夢)を見ない者、絶望している者は存在しない、と考えられるのだ。
結論として、“まぼろし世界”の人々が消えてしまう原因は絶望することであると私は解釈した。
園部は正宗への恋愛が成就しないことに絶望し、仙波はラジオDJになれないことに絶望し、照宗は自分の無力さに絶望した。だからは彼らは消失してしまったのである。そして彼らが絶望してしまった原因は、前述したキーネーシス的思考によるものであることが分かるだろう。
【ネタバレ】映画『アリスとテレスのまぼろし工場』の感想
引用元:『アリスとテレスのまぼろし工場』
映画『アリスとテレスのまぼろし工場』の個人的な感想を書いていく。
書きたいことは数え切れないほどあるが、ここでは本作で最も好きなシーン、正宗と睦実のキスシーンについて書くことにする。
アニメとは思えない生々しく耽美なキスシーン
正宗と睦実がキスをするシーンは、非常に印象的で心に残るものだった。
キスの最中、空が割れ夏の空気が入り込んできたことで、それまで降っていた雪は雨に変わる。そのことを睦実が口にするが、正宗は知ったことかとむさぼるようにキスを続ける。それをなすすべもなく受け止める睦実。思春期の男子と女子の欲情が生々しく表現されているいいシーンだった。雪が溶けるほどの熱を帯びたキスという洒落も効いている。
実はこのシーンは、正宗役の榎木淳弥、睦実役の上田麗奈、五実役の久野美咲の3人から「目を合わせて会話したい」というリクエストがあり、ベテランスタッフも初めて見る前代未聞の形でアフレコをしている。
これによってキャラクターたちの緊張感や切迫した感情が細やかな息づかいとともに感じられる素晴らしいシーンに仕上がっているのだと思う。
アニメでこれほどまでに、生々しく耽美なキスシーンは今までになかっただろう。岡田麿里監督の持つ作家性が遺憾なく発揮されたこのシーンを目にするだけでも、本作を見る価値があると私は感じた。
映画『アリスとテレスのまぼろし工場』解説まとめ
本記事では、映画『アリスとテレスのまぼろし工場』について、ネタバレを含む解説・考察を書いてきた。
しかしながら、本作はさまざまな魅力や仕掛けを含んでおり、本記事では全てに触れることができていない。
WEB上には、“まぼろし世界”が二次元世界のメタファーなのではないかという考察をしている記事や、京アニ事件への鎮魂の意が込められているのではないかという解釈をした記事もあるようだ。
また、本作の大きな魅力の1つである睦実と五実の関係の変化やラストシーンでの会話について詳しく感想を書いている人もいた。
興味がある方はぜひそれらの記事もチェックしてみるといいだろう。
そして、二度三度と繰り返し本作を鑑賞してみることで、さらに深く本作を味わってみることをおすすめする。本作は、そうした鑑賞に堪えるだけの魅力を持った作品だ。